教育再生実行会議という機関が国公立大学の二次試験から
ペーパーテストの廃止を検討しているらしい。
出身や家柄、金持ちや貧乏人、年齢も性別も関係ない平等であるはずのペーパーテストである。
果たして審査する側の主観が入らざるを得ない人物評価というものが
ペーパーテストに比類するほど公平に行われるものだろうか。
点数というのはそういった余計な要素を全て排除した究極的な平等だろうというのに、それをわざわざ排除するというのは納得がいかない。
詳細な説明を要求する。
ここからは主観かつサイエンスに限った話だが、
人物評価ごときで学問の自由を制限されてたまるかよ。
知識一辺倒な学力検査の何が悪いのだ。大学は自らの興味に任せて学ぶ場所だ。
学ぶ必要を感じなければ大学に行かなければいいのだ。
むしろ企業に入社するためだけに大学を踏み台にする風潮をどうにかするべきだ。
新入社員として企業で必要とされるものなんてのは他人とうまくやっていくコミュニケーション能力だろう。(誤解を招く表現だが、誤解ではない。オレは企業のそういった同調圧力を軽蔑している)
大学に入ってまでビジネスマナーや「常識」などを教えなければならないなんて言語道断だ。そんなものは中学や高校でやれ。人格形成に必要な基礎教育時代には免許持ちのプロがいるだろうが。
大学はそういうことする場にするべきじゃない。
大体、周りのサイエンティストを見ると、実に失礼だが、人物評価なんぞ行ったら落第しそうな人々ばかりである。そういう人物が日本のサイエンスを支えているのである。人物評価などと主観の入りまくった選別の結果、将来的にこういう人たちが研究の道を閉ざされることになるとは考えられないのだろうか。
正直、高校時代の微積分学をまるまる抜いた物理の本質の見えなさっぷりは科学離れを助長させるものでしかなかった。勉強する必要性を感じなかった。こんな腰ヌケカリキュラムにしておいて「ペーパーテストは暗記力に頼ったよくないものである」とかふざけてるとしか言いようが無い。本当に理解しているやつは余計な暗記なんかしない、ということすら理解していないお偉方の無能を許すな。
大学入試を人物評価にして、なおかつ科学を重視する政策を打ち出したいんなら他にやるべきことあんじゃないのか、おい。
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